OSAKA STATION CITY GUIDE

do-ya?[ドーヤ?]

結成30周年のテンダラーが、JR大阪駅「大阪駅タイムトラベルステーション」で歴代の人気車両と共演!「必殺仕事人」誕生秘話も!

どない?

今年で鉄道開業150周年を迎えたJR大阪駅では、記念イベント「大阪駅タイムトラベルステーション~時間の旅へ出かけよう!~」を開催中です! なかでもAR(拡張現実)を使って、スマートフォンの画面上で過去の鉄道車両を見ることができる「AR大阪鉄道博物館」は、注目度満点!大阪ステーションシティに現れた全8️ヵ所のタイムトラベルポイントに設置されたARマーカーを読み取って、歴代車両との記念撮影を楽しんでみてくださいね!

そこで今回は、今年でコンビ結成30周年を迎えるテンダラー(白川悟実、浜本広晃)が、JR大阪駅を訪れて、「北区住みます芸人」の木尾モデルの案内のもと、「AR大阪鉄道博物館」を体験。鉄道開業150周年、かたやコンビ結成30周年と、どちらもおめでたい節目に、それぞれの時代を振り返ります。

出典:FANYマガジン

若手芸人時代での思い出盛りだくさんのJR大阪駅でAR体験!

木尾 大阪ステーションシティ内で開催している「AR大阪鉄道博物館」を、私、「北区住みます芸人」の木尾がご案内させていただきます! ところでテンダラーのお2人は、JR大阪駅にはどんな思い出がありますか?

浜本 めっちゃ若手の頃に、それこそJR大阪駅で集合してみんなで営業に行ったなぁ。メッセンジャーとか、水玉れっぷう隊とかね。中央口で集合して、在来線に乗って現場まで行くねん。

白川 神戸に劇場があった頃は(※吉本海岸通り劇場)、新快速に乗って劇場まで行ってたよな。行き帰りの電車の中で、劇場に観に来てたファンの人らと一緒になったり(笑)。

浜本 あったなぁ! ほんで、芸歴を重ねていくと、だんだん電車に乗る機会が減るのよ。NGKまでタクシーを使うことが増えるからね。そうなれたときは、なんかちょっとうれしかったなぁ。今でもそんなんあるの?

木尾 全然、ありますよ! 「京都で修学旅行生の営業です」ってなったら現地集合なので、大阪駅から乗り換えて京都駅まで行きます。

浜本 そういう意味では、俺らにとっては若手時代の思い出が多い場所っていうイメージかな。

木尾 なるほど~。ではそんなテンダラーさんの30年の軌跡と、鉄道開業150周年の歴史を重ねて振り返っていきましょう!

出典:FANY マガジン

芸歴1年目にしてNGKのレギュラー出番をもぎ取る白川のイケイケぶり

木尾 まずはカリヨン広場にやってきました! ここでは、1881年に走っていた「1800形1801号」という機関車のAR画像を体験することができます。汽車が出てくる演出もいいですね~。

白川 わ、おもしろい!

浜本 おぉ~、この状態で写真が撮れるんや!

木尾 そうなんです! 「1800形」は、鉄道開業150年の中でも序盤の方に登場した車両なんですけど、テンダラーさんの歴史と照らし合わせて1~2年目はどんな感じでしたか?

浜本 そもそも、30年を迎えるなんて思ってないよな?

白川 感覚的に言うたら「おもしろそうやから、オーディション受けてみよか」のノリで始まったからね。

浜本 で、受かったからそのときやってた仕事を辞めて「本格的にやってみよか」と。だから、そのときオーディションに落ちてたらやってない。

木尾 ええっ! ちなみに当時のネタって覚えてます?

浜本 覚えてる。忍者ネタ。忍者の先輩(白川)、後輩(浜本)で、城に忍び込むっていうやつ。

出典:FANY マガジン

木尾 それが、ゆくゆく「必殺仕事人」側に回るんですね(笑)。じゃあ初めはコントやったんですね?

浜本 そう、コント。でも、日によって「今日は漫才しようか」「コントにしよか」みたいな感じで、決まってなかってん。なんやったらボケとツッコミも。

白川 ネタによって変わってたなぁ。そんな感じで始めてるから(笑)。で、1年目くらいにレギュラーで舞台の出番が決まって、それからボケ、ツッコミを決めて。

木尾 1年目で、レギュラーで舞台出番がもらえるなんて、今はもうないですよ!

浜本 あの頃の白川くんはイケイケで、まだ1年目の心斎橋筋2丁目劇場のオーディションを受けてるとき、「NGK(なんばグランド花月)に出たいなぁ」って言い出したから「そら出たいよ」って答えたら「じゃあ、ちょっと行こうか」って支配人のところに行って、「NGKに出たいんですけど」(笑)。

出典:FANY マガジン

白川 「どうしたらいいですか?」ってね。

木尾 えぇ~~!? 直接!?

浜本 支配人もびっくりしてて「ネタ、あんの?」と聞かれたから「あります」って言うて、NGKの舞台袖でネタを見せて、それから10日後くらいになぜか出番がもらえた。

白川 そんな奴、おらへんで(笑)。

浜本 なんで出してくれたんやろうなぁ? そこから定期的にNGKに出るようになったんよ。もちろん最初は全然ウケへんから、手をかえ品をかえ、めちゃくちゃ考えたな。10分出番で。

木尾 1年目で、いきなりNGKで10分出番!?

浜本 そらめちゃくちゃスベったよ。でもそこで「客を振り向かせるためには、つかみがめちゃくちゃ大事やな」っていうことに気づくのよ。それでめっちゃ考えた。それができたのは、やっぱり劇場があったからやね。

木尾 すごいですね……! そういう気質は30年が経った今でも変わってないですか?

白川 (浜本は)ずっと引っ張ってくれてるね。

出典:FANY マガジン

浜本 今も(白川には)めちゃくちゃ驚かされるよ。今、彼はドイツに目を向けてて、「ジ・白川バンド」で、ドイツのサマソニみたいな音楽フェスの出演権をかけてオーディションを受けてるのよ。

白川 あと2回、勝ったら出れる。

浜本 その大事な予選が、俺らの単独ライブの1週間前やからな。

白川 ドイツから帰ってこられへんかも知れん(笑)。 浜本 そういう行動力はさすがやね。休みの日にタイまで行って象に乗る免許を取ったり(笑)。日々、驚かせてくれるから刺激がある。

800形と時代を超えてARで記念撮影!    出典:FANY マガジン

木尾 続いては「旅立ちの広場」にやってきました。ここでは1950年に登場した「クハ86形」のAR画像が楽しめます。テンダラーさんだと芸歴15年目、ちょうど折り返しの頃ですかね。情報によりますと、コンビ名を「$10」から「テンダラー」に表記を変えた時期だと。

白川 あぁ~、はいはい! そうかそうか。

浜本 その頃は、ガッツリNGKに出て15年もやってるけど、年輩の方からしたら「$10」が「テンダラー」と読むって分からへん。でも、劇場でやっていくって決めてたから、誰が見てもひと目で分かるコンビ名にしたほうがいいんじゃないか、ということで。ちょうどその頃に15周年記念ライブがあったから、そこで「周年の重大発表」なんて言いながら。でも、読み方はテンダラーのままやから「表記だけ変えます」って発表して変えた。

出典:FANY マガジン

木尾 なんで最初は「$10」だったんですか?

浜本 カタカナのコンビが多いから、その中に記号があったら目立つんじゃないかっていろいろ考えててん。ちょうどそのとき、当時一緒に働いてたバイト先で、慰安旅行でハワイに行って、帰国後は初めて吉本のオーディションを受ける予定になってて。それで、ワイキキビーチでコンビ名を考えるときにドル紙幣を持ってたのもあって、「$10にしようか」「そうしよか」みたいな。

白川 「$」は記号で目立つから。

浜本 一応、ほかの候補としては「ハワイ&マウイ」もあってんけど、(白川が)「それはいやや」と(笑)。

木尾 (笑)。ちなみに15年の中で、“解散の危機”はなかったんですか?

浜本 ないなぁ。まだ若いから将来のことを考えているようで「なんとかなるか」みたいな感じで何も考えてなかったし……。

出典:FANY マガジン

白川 そうそう。なんか妙に忙しかったこともあって。

浜本 それに、そんなにテレビに出てなくても単独ライブをやるとチケットが売れてん。『M-1グランプリ』も終わり、レギュラーもない状態やってんけど、単独をやると毎回満席になるから「じゃあ、やってることは間違ってないんかな」という感触があってん。それがなかったら辞めてたんちゃうかな。

木尾 劇場と、お客さんに支えられた、と。

白川 絶対にそう。ほんまに劇場。

浜本 それこそ「必殺仕事人」のネタもこの頃にできたネタやからね。

手からクハ86形が!こんなショットもARなら楽しんでいただけます。    出典:FANY マガジン

東京進出しなかったのは「東京にはNGKがない」から

木尾 ここ「アトリウム広場」では、1971年から走っていた「クハ486形 雷鳥」のAR体験ができます。テンダラーさんの歴史に照らし合わせると、20年目前後の頃で、資料によると17・18年目に「THE MANZAI」決勝進出を果たしておられます。ようやく世の中にバーンと出た頃でしょうか?

浜本 17年目のときにマネージャーから「芸歴が関係ない漫才コンテストなんですけど、どうですが」って相談されて、こっちは山ほどイベントをやってきてネタはいっぱいあるし、その中でもめちゃくちゃ自信があるネタが「必殺仕事人」やってん。でも、当時の自分たちはもうそのネタはやり切った感があって、DVDにも入れたし、引き出しの中にしまい込んでたんよ。

白川 うんうん。そうそう。

浜本 俺らの中で「DVDに入れて形に残したら、もうええか」っていうのがあったから、劇場では5年くらいやってなかってん。そこに「THE MANZAIがあります」っていう話が来て、それで「このネタでいかれへんわけあらへん」ってなってん。

出典:FANY マガジン

木尾 僕、テンダラーさんがスベってるところは見たことがないんです。17年の中でウケ続けたネタの中でも「必殺仕事人」のネタは、確固たる自信があったんですね。

浜本 あった。絶対にインパクトが残せると思った。

白川 そうそう。

浜本 白川さんも「やっぱりこれ(「必殺仕事人」のネタ)やな」って言ってたから。

木尾 ビートたけしさんから褒めていただいたことで、世間の風向きが一気に変わった感じはあったんですか?

浜本 世間よりも、自分らが、やね。やっぱり「あ、間違えてなかったな」という自分らの気持ちがデカいんちゃうかな。背中を押してもらえた、みたいな。「これで正解ですよ」と言われたくらいのうれしさですね。

出典:FANY マガジン

木尾 「THE MANZAI」や「M-1グランプリ」をきっかけに、活動拠点を東京に移す方もいらっしゃったと思うんですけど、そこには繋がらなかったんですか?

浜本 東京には、NGKがないしな。

木尾 うわっ……! なるほど。やっぱりなんばグランド花月は濃度が濃いというか。

浜本 高校球児は、やっぱり甲子園で野球やりたいやん。「東京ドーム、ありますよ」って言われても、「いや、ええねんけど、甲子園がいいな」みたいな。そんな感じちゃう?

木尾 なるほど……! そして20周年のときには、新たなチャレンジをされていますよね。ロサンゼルスで、英語漫才。

浜本 そうそう。20周年で、なんかやらなあかんって考えたときに、実はその1年前にタイで単独ライブをやってん。お客さんは現地の日本人の方で、100人ぐらい来てくれたらいいか~と思ってたら、350人くらい来てくれて、「こんなに喜んでくださるんや…!」と思って。

白川 普通、海外で350人なんて入れへんやん?

浜本 それで手応えを感じて、20周年は「よっしゃ、アメリカでやろう!」って言ったら、当時のマネージャーが「じゃあ、全編英語でやりましょうか」、俺らは「何言うてるねん、おまえ~」なんて笑いながら(笑)、日が近づいてきたら「ほんまにやってくださいね」ってなって……。まじでふたりで金を握りしめて英会話スクールに行ったもんな。

出典:FANY マガジン

木尾 全編英語のネタを何本やったんですか?

浜本 うーん、でも結構、現地に行ってから内容を変えた。やっぱりつかみはめっちゃ大事で、当時は(なかやま)きんに君もアメリカにいたから、きんに君の友だちに教えてもらった英語を入れたりしたら、わりとハマった。

白川 やっぱり生の英語やからね。

木尾 20年目でキャリアもあるのに新たな挑戦って、難しいんじゃないですか?

浜本 難しいよ! 一番大変やったのは、ストリートでネタをやったとき。アメリカってお客さん自身も一緒に楽しみたい気持ちが強いから、踊るネタのときに前で観てたお客さんが俺らと一緒に踊りだしてん。なんやったら俺を押しのけて、ええ場所で(笑)。もう笑てもたわ。俺よりうまいし(笑)。

白川 なんやねん! ってなったな(笑)。

木尾 盛りだくさんですが、21年目となる2015年には「第50回 上方漫才大賞」も受賞されました。

浜本 「大阪で活動していく」って決めたとき、じゃあ何を目標にするねんってなったら「上方漫才大賞」。自分らのなかで「この5年くらいで上方漫才大賞は獲りたいな」って話してた5年目で獲れたから、それはよかったなと思います。

白川 これでやっと「漫才師です」と言えるという、ね。

雷鳥にびっくり!なテンダラー。カメラマン木尾モデルこだわりの作品です。  出典:FANY マガジン

一期一会のお客さんに、最高の時間を届ける漫才を

木尾 このツアーの最後のご案内となる「時空の広場」です。ここでは、1996年から走っている「500系521形」とのAR体験ができます。もういよいよ最近の出来事となります。

浜本 ARで最新の新幹線と写真が撮れるって、技術の進化はすごいね~。

木尾 ご家族にもいいですよね。そしてこの「時空の広場」、人工芝が敷かれてこんなふうになっているってご存知でしたか?

浜本 いや、知らんかった! めっちゃいいなぁ。気持ちいい風が吹き抜けていくし。

木尾 JR大阪駅もこうして進化を遂げているわけですけど、いよいよ終盤です。もう最近では「THE MANZAI マスターズ」にもご出演されて、世間的にも「漫才師」という確固たる地位を築いてこられました。時間の過ごし方にも重みが出てきたのでは。

浜本 重みと言うか、単純に寄席の出番も確実に後ろの方になるやんか。

白川 そうそう。やっぱり、慎重にはなるよ。

浜本 新ネタを単独ライブで試して、そのネタを引っ提げて寄席で試すときが一番緊張するね。

出典:FANY マガジン

木尾 やっぱり、キャリアを重ねて舞台に立つときの心持ちは変わってきましたか?

浜本 それは変わってると思う。「お客さんはめっちゃ楽しみにしてくれてるんや」っていうね。俺、前にシルク・ド・ソレイユのチケットを取ったとき、友だちに「楽しみすぎて、前日は寝られへんかったわ」って話したら、「俺の知り合いも同じこと言ってたで。お前らの単独ライブの前の日に」って言われてん。それを聞いた瞬間「え、そんなに楽しみにしてくれてるの!?」って。

木尾 一大イベントですね。

浜本 そうやねん。NGKに、毎年恒例で来てくれる家族もおれば、最初で最後の家族もおる。10年ぶりに観に来てくれた家族もおる。ほんまに今日この日が最後の日かもわからんっていうお客さんがおるんや、って。今はそんなことも考えるようになったなぁ。大人になったわ~。

白川 それ、ほんまに思う! 一回一回、汗びっしょびしょになるもんな。だって、チケットを買って観に来てくれてるんやから。

出典:FANY マガジン

木尾 今年で30周年を迎えられましたけど、今後、40周年、50周年に見据えてらっしゃることはあるんですか?

浜本 将来とかよく聞かれるねんけど、俺らにとって、今がもう将来やねん。

白川 うん、将来やわ。

浜本 そう。だってこの世界に入ったとき、30年後のことなんて考えなかったし。それに、今の師匠方も現役ですごい活躍されてらっしゃる。

白川 たとえば(オール)阪神・巨人さんを見てて、自分が師匠がたの年齢になったときに、あのキレのよさ、テンポのよさ。「こんなに動けてるかな?」って思うこともある。

浜本 そういうふうになっておくためにも、ほんまにベタやけど“健康”かな。こないだも、(白川が)人間ドックに行って全部調べたっていう話を聞いて、ホッとしたもん。

白川 ははは(笑)。

浜本 あとはもちろん単独ライブもね。毎年やってるねんけど、続けてやって、お客さんに来てもらえるようにやりたいよね。やっぱりお客さんに笑っていただくと、「1年間、やってきたことは間違ってなかったんかな」ってホッとするねん。

出典:FANY マガジン

木尾 直近でいうと 6月28日(金)に大阪から始まる「テンダラー結成30周年記念公演」もあります。

浜本 ツアーで10年ぶりにロサンゼルスにも行くよ。基本的に日本語の漫才やけんけど、ちょっとだけあのネタも挑戦しようかと。それでまた英会話スクールに通って、できるかぎりがんばろうと思う。

木尾 かっこいいですね。いつまでも目的を持って挑戦し続ける姿は、僕ら若手芸人にとっても刺激になってありがたいです!

浜本 わからんで~。知らんうちに象の背中に乗って「じゃあな!」ってどっか行ってるかもわからんで(笑)。

カメラマンの木尾モデルが何度も取り直していると思ったら……こんなショットに仕上がり!  出典:FANY マガジン