装丁家と書店員が考える「本を読むことってなんだろう?」
どや?
この記事の内容
- 『千年の読書』のカバーのラフデザイン案は50案も。
- 本を繰り返し読むこと。本は読者の滑走路になる。
矢萩多聞 (やはぎ・たもん)さん
画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。95年から南インドと日本を半年ごとに往復。2002年から本のデザインにかかわるようになり、これまでに600冊を超える本を手がける。現在は京都で、本とその周辺をゆかいにするべく活動している。著書に『本とはたらく』(河出書房新社)、『美しいってなんだろう?』(世界思想社)、『本の縁側』(春風社)、 共著に『タラブックス』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。
三砂慶明 (みさご・よしあき)さん
「読書室」主宰。1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。ウェブメディア「本がすき。」などに読書エッセイを寄稿。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。
1 .カバーのラフデザイン案は50案も。
三砂さん:第一回目の装丁家と書店員の企画での対談、ありがとうございました。前回の対談でお願いした千年の読書』のカバーデザイン、とても楽しみにしておりました。
▼第1回の記事はこちらから。
装丁家と書店員が考える「美しい本ってなんだろう?」
矢萩さん:こちらこそ、ありがとうございました。いや〜、デザイン難しかったですよ!『千年の読書』の装丁は本当よくできている。勉強になりました。これ以上、何を望みますか!三砂さん!と言いたくなってしまうほどに。
三砂さん:嬉しいです、私もこの装丁は大変気に入っております。
矢萩さん:なので、僕は現状の装丁とはかぶらないような方向でカバーデザインのラフ案を考えました。50案あります。
三砂さん:えぇ!!!50案もですか!ありがとうございます…。
矢萩さん:はい、そうなのです。では早速見せていきますね。
三砂さん:……。すごいです…。
矢萩さん:『千年の読書』は、書いてあることが幅広くて驚きました。職業柄もあって本を紹介する本はたくさん読んできたんですが、あまりこういうのはありませんね。扉は簡単に開くことができるけれども、その奥が深くずっと続いていく感覚がありました。浮ついた言葉ではなく、三砂さんならではの視点で日々であった本たちへの想いがそのまま書かれてある。
三砂さん:最後まで丁寧に読んでくださって本当にありがとうございます。私自身、本を読むときに、書き手がこの世界をどう見ているのかが、気になります。著者の視点や視座には、著者そのものの人生が現れている気がしています。だからこそ、この『千年の読書』を執筆するときは、自分にとっての視座と視点がどこにあるのかを、考えながら書きました。なかなか自分の言葉で執筆するのは難しかったですが、矢萩さんは普段どう書かれているのですか?
矢萩さん:文章を読むと自分の言葉で語っているように見えますが、ほんとうは自分の言葉じゃない。僕は若いときから本をあまり読んでこなかったので、本からの言葉よりも実際に会ってきた人たち、生身の人間の言葉のエピソードや、話し方が積み重なって、言葉がかたちづくられている。これが自分の言葉だ、という感覚がないんです。そもそも中学校にもいかずインドで生活するようになったので、はじめのころは英語すら全然しゃべれない。文法もわからない。とにかく、八百屋、床屋、雑貨屋など身の回りの人のモノマネをして言葉を覚えました。いましゃべったり、書いたりしている言葉は、今まで会ってきたひとたちの集合体のように思います。
三砂さん:なるほど、面白いですね。私は書いていて、やっぱり今まで読んできた本から抜け出せない感じがありました。だから、逆に読んできた本たちの言葉で語ろうと思って、実際に本棚に一冊一冊並べながら書きました。
矢萩さん:『千年の読書』の中で、「本は扉である」という表現が出てくるんですが、たしかに読み進めるとその感覚がよくわかる。いろんな扉がこの本の中にあって、ページをめくるたびにいろいろな扉と出会って、開いていく。
三砂さん:ブックカバーのデザイン案を拝見させていただき、矢萩さんがどう読んでくれたのかがしっかりと伝わってきました。短い時間にも関わらず、これほど深く読み込んでくださって、心から感謝します。本企画に合わせた特別カバー版『千年の読書』ブックフェアを梅田 蔦屋書店で開催するのが待ち遠しいです。せっかくなので3種類のブックカバーデザインを展開させてください。本来なら一案に絞らなければならないのですが、さすがに絞りきれません……。
矢萩さん:いやぁ、わかりますよ。難しいですよね。でも、決めねばならない。デザイン案を絞ったら、さらにデザインを調整し、紙を選び、印刷やインキについても考えていきます。
三砂さん:ここからさらに、調整していただけるんですか!楽しみです…!ありがとうございます。
次回記事で、梅田 蔦屋書店のブックフェアのお披露目現場を公開予定です。
2.本は、読者の滑走路になる。
三砂さん:『千年の読書』を執筆したとき、書くことよりも読むこととは何かを考えてえていました。
矢萩さん:興味深い問いですね。
三砂さん:同じ本を読んでも、なぜみんな感想が違うのか。極端なことをいえば、私たちが本を読んでいるとき、本当に読んでいるのは読んでいるときに同時に考えていることって、本に書かれていることではないのかもしれない。本から引き出された私たち自身の人生を読者は読んでいるのではないかとよく考えます。私たちは読むことを通して、著者の書いた世界を例えるなら、滑走路のような役割です。我々はその上を走っていける。そして、長く読まれる古典や名著ほど、読書の滑走路は、読者に踏み固められて、硬くなっていく。硬ければ硬いほどより高く跳べるのではないかと思うことがあります。
矢萩さん:滑走路というのはうまい例えだなぁ。本によって滑走路の長さや幅も変わってきますね。飛行機の飛び方もひとつじゃなくて、いろいろなやり方を本は許容してくれる。
三砂さん:滑走路を飛んでもいいし、歩いてもいい。寝っ転がっていてもいいし、走ってもいい。読み方は自由ですよね。先ほどの言葉を真似ることにも通ずるんですが、何かを書いたり表現したりすることって土台がないとできません。読むことは、その土台をつくる行為だと思います。
矢萩さん: おなじ本を何度も繰り返し読んでいくうちに、本来書かれていた以上のものが見えてくる。その土台を足がかりにして、ぽーんと違う世界に飛び越えて行っちゃう。しつこく本を読んでいるとそんなことが起きますよね。
三砂さん:確かに本を繰り返し読むことで、自分自身も変化していることにも気付かされます。鏡をみているような感じですよね。矢萩さんが繰り返し読む本はありますか?
矢萩さん:何冊かあるけど、一冊選ぶとしたら、ウィリアム・サローヤンの『わが名はアラム』(清水俊二訳・晶文社)ですね。二十歳くらいのころ、インドの家に持っていって、すり切れるまで読んでいました。舞台はアメリカのカルフォニア州フレズノ。アルメニア移民二世の少年アラムがさまざまな人たちに出会い、成長していく物語です。登場人物がみんな、どこかちょっとダメな部分を持っていてね。はじめて読んだときは、なんてポンコツな人ばかりでてくる本だ、と思ったけど、繰り返し読むと人間の愛らしさとしぶとさ、一面的な価値観では測れないそれぞれの生き方が見えてくる。『美しいってなんだろう』の執筆中も行き詰まるたびに、サローヤンの本を開いていました。僕はこの本を死ぬまで読み続けることになると思う。三砂さんはそんな本はありますか?
三砂さん:毎年、八月になると『夜と霧』を読む友人がいて、一緒に読んでいます。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は中学生のときに友人と一緒に読みはじめて挫折して、今も繰り返し読んでいます。繰り返し読む本に共通しているのは、そこに書かれているのが、著者の「答え」ではなくて、「問い」ではないかと思っています。
矢萩さん:そう、「問いを立てる」って大事。日本の学校は、先生に投げかけられた問いに対して、答えを導き出し、それをひたすら覚える、ということをやりますよね。でも、こうして大人になって仕事をしていると、自分で問いを立てることが重要になってくる。問いがなければ、本はつくれない。すぐに答えが見つからなくて、ずっとなにかを探し続けているけれど。つまるところ、人生のいろんな局面で生まれた「問い」こそが、いまの自分をつくっている気がします。
三砂さん:未知を既知に変えてゆく本。読者自身の人生の扉をそっと開いてくれる本を紹介できたらいいなと願っています。
本企画に合わせた特装版『千年の読書』ブックフェアを梅田 蔦屋書店で開催予定です。
詳しい情報は、梅田 蔦屋書店のHPにて11月中旬に公開予定。
取材協力
待賢ブックセンター
http://kaifusha-books.com/taiken/
いっちゃん、新しいやつ