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12歳で沼落ち!収集1万点!大阪万博コレクター白井達郎のEXPO’70全振り人生【ハイパー偏愛図鑑 Vol. 1】

どや!

偏愛歴57年! 集めたアイテムは1万点以上! EXPO’70を愛しすぎて、自宅に当時のウルグアイ館まで移設してしまったという、日本随一の大阪万博コレクター・白井達郎さんの偏った愛とは? 太陽の塔や公式グッズだけじゃない……宇宙や海外旅行への憧れが爆発し、高度経済成長に浮かれまくった1970年の日本を象徴する数々のアイテム。12歳で足を踏み入れた沼はあまりに深すぎた――。

write:トミモトリエ

今回の偏愛者

白井達郎さん

大阪府池田市在住。大阪万博グッズコレクター。小学6年生の時に万博に興味を持ち、新聞のスクラップをはじめる。1970年、高校1年生の時に「大阪万博(日本万国博覧会)」を体験。資料やグッズの収集を始め、ライフワークに。2002年、現存していたウルグアイ館の一部を自宅に移設。自宅に「万博ミュージアム」を開館(現在は閉鎖)。2008年~2011年、天満橋で「EXPO CAFE」を開店。収集したグッズは1万点以上。2016年、EXPO’70パビリオン特別展「大阪万博グッズ三昧!」公式ガイド『EXPO’70グッズコレクション』(KADOKAWA)発売。

雑誌『GINZA』2023年5月号では、岡本太郎を敬愛するシンガーソングライター・あいみょんと太陽の塔や岡本太郎グッズについての対談も掲載された白井さん。ご自宅におじゃましてお話を伺いました。

大阪万博(日本万国博覧会)とは?

「人類の進歩と調和」をテーマに、1970年3月15日から9月13日まで、大阪府吹田市の千里丘陵で開催されたアジアで最初の万国博覧会。会期中の総入場者数は約6,421万人で、過去の万国博覧会史上最高を記録。77カ国、国際機構、政庁、州、都市、企業を含めて計116(テーマ館、日本庭園含まず)が参加。

\ドヤ/
12歳で沼落ち……!少年の心を鷲掴みにした「大阪万博」という衝撃

──沼にハマったきっかけを教えてください!

白井さん:大阪万博の開催が正式に決定したのが1965年。北大阪急行電鉄や新御堂筋の開通など、万博に向けて交通機関の整備が急ピッチで進み、万博に関連するニュースが連日駆け巡っていました。新聞で「万博」という文字を見つけてはスクラップするようになったのがその翌年あたり。小学6年生の時です。

池田市の自宅から自転車で、新御堂筋ができる様子や建設中の会場予定地を何度も見にいったり、大阪の街が生まれ変わる様子を見てワクワクが止まりませんでした。

新御堂筋の開通が発表された当時の新聞。交通機関が大きく進化した。

──開幕後、実際に会場を訪れた時はどんな気持ちでしたか?

白井さん:高校入学前の春休みにテレビで開会式を見て、いてもたってもいられなくなり、翌々日会場に行きました。開会式で使われた紙吹雪を探して拾い集めたのをよく覚えています。

人々の熱気と歓声、天井を突き抜けてそびえ立つ太陽の塔、タイムマシンで近未来に訪れたような世界観……人生で一番興奮した忘れられない瞬間です。海外への憧れが大きかった時代に、世界77カ国が一気に大阪に来るという衝撃。世界中のパビリオンが集まり、外国人がたくさんいるというだけで大興奮しましたね。

白井さんが撮影した開会前の写真。高校生の時は写真部だったそうです。

──何回くらい会場に訪れたんでしょうか?

白井さん:ちゃんと数えてないけど、合計30回くらい行ってると思います。実は、万博会場に入りたいがために、夏休みは会場内のレストランでアルバイトをしていたんです。シフトの時間以外はお気に入りのパビリオンを何度も見て回りました。

──小6からスタートした収集家人生。早すぎる沼落ちです……!

\ドヤ/
リサイクルショップを巡って端から端まで探しまくる日々

──開催期間中に集めたアイテムもあるんですか?

白井さん:本気で集め出したのは社会人になってからです。高校生の時はお金がなかったので、とにかくタダでもらえるものを集めていました。万博のマークが入っているものなら、マッチでも紙袋でもなんでも(笑)

閉幕後は、万博バザールと称して売れ残ったグッズや展示品が各地で売り出されたんです。会場で使用されていた建造物や解体されたパビリオンの一部まで、売られたり関係者の手元に渡ったり……もちろん高校生だった自分には手に入れられるわけもなく、新聞やチラシをスクラップするだけでした。

閉幕当時の新聞広告。フランス館レストランで使われていたテーブルや椅子、ネパール館の座像まで……。

──公式グッズだけでどれだけの数があるんでしょうか?

白井さん:それが、正確にはわからないんですよ。どこかにデータがまとまっているわけでもないので。

例えば、記念メダルやピンバッジ、切手などはわかりやすいですが、文房具、おもちゃ、ライター、灰皿、お茶碗、鍋など、公式のお土産として会場内で売られていたものから、出展企業が独自に作っていたもの、金融機関ノベルティーの貯金箱などの非売品グッズまで、ありとあらゆるものに大阪万博の公式マークがついていました。

なんといっても、大高猛さんがデザインしたシンボルマークが素晴らしいんです! 

銀行や信用金庫が出していたノベルティーの貯金箱(白井さん提供写真)。
カメラやフィルムにまで万博のロゴが!(白井さん提供写真)
白井さんが所有する秘蔵グッズ1,226点をまとめた万博グッズガイド『EXPO’70グッズコレクション』(KADOKAWA)

──そこからどうやって1万点ものアイテムを……?

白井さん:全国各地のリサイクルショップや中古レコード店をまわるのがライフワークでした。今みたいにネット販売もなければ、情報の検索もできない時代です。印刷会社に勤めていたんですが、出張ついでに1日延泊したりして、店の端から端まで探しました。

実は、レコードだけでものすごい数があるんですよ。大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」は、三波春夫が歌ってミリオンセラーの大ヒットを記録したことで有名ですが、同時に各レコード会社の競作で複数の歌手がリリースしています。

それだけでなく、万博応援ソング、各パビリオンのテーマソング、万博ホールで行われたライブ音源などなど……掘っても掘っても次々出てくる(笑)

「世界の国からこんにちは」は、坂本九、吉永小百合、山本リンダ、弘田三枝子、倍賞美津子、ボニージャックスなど各レコード会社から同時リリースされた。児童合唱団によるカバーソングも。

参加企業に配られたという、参加者の手引きのソノシートまで。

──ひえ〜! 集めても集めてもキリがない底なし沼!!ネット検索ができない、情報がまとまった媒体もない時代によくぞここまで……(驚)

\ドヤ/
ウルグアイ館はラーメン店に!?なんでも鑑定団でパビリオンの制服を募集!?

──苦労して手に入れたものはありますか?

白井さん:あまり苦労した記憶がないんですよ。何十年もかけてコツコツ集めていったものですし、譲り受けたものも多い。90年代後半になってからはネットオークションも利用しました。太陽の塔のグッズはプレミアがついて高いものもありましたが、どうしても欲しいと思うものにはお金を惜しまなかったです。

レアな「黄金の顔」のセルロイド製のお面はネットオークションで手に入れた。
太陽の塔の内部で流れていた「生命の讃歌」のレコードも貴重。

パビリオンの制服は、テレビ東京の番組『開運!なんでも鑑定団』に出演して募集しました。それで、40着も集まったんです。テレビの力はすごいですね。

右ページ中央のサントリー館の制服(水色)は、雑誌『GINZA』2023年5月号で、あいみょんが着用したもの。

──コレクションの中で、一番お金をかけたものは?

白井さん:貴重なものほど、買ったのではなく譲り受けたものが多いんです。ただ、自宅の玄関に移設した「ウルグアイ館」の一部は、移設工事に100万円かかりました。

ウルグアイ館は、閉幕後に建物全体が兵庫県内に移設され、ラーメン店として使われていたんです。「どさん娘」っていう札幌ラーメンのチェーン店で、外装はオレンジ色に塗られていました。何度も通って話をしているうちに「今度お店畳むからあげるよ」と言われ、引き取ることになったんです。

1970年当時のウルグアイ館。 
ラーメン店として使われていた時の様子。
運ぶのも一苦労。
自宅の玄関に取り付けてしまった。

──オレンジ色から元の色に戻したんですか?

白井さん:そうなんです。万博当時の色を再現して塗り直しました。ポールは高すぎたので半分に切って、上段に使われていた「ウルグアイ」の文字が入っているガラスを持ってきました。

一度、ラーメン店の店主が「ウルグアイ」の文字を外そうとしたみたいなんですが、「グ」の点々を外したところで諦めてしまったみたいで。だから「ウルクアイ」になっているんです。

──いやいやいや、「苦労した記憶がない」って言うけど、すんごいことしてますよ!!! 苦労を感じないほど、楽しくてしょうがないんでしょうね(笑)

\ドヤ/
「で、それって万博に関係あるの?」が口癖だった

万博当時の国鉄のポスター。

──他にハマったものとかないんですか?

白井さん:いやー、ないですね。吹奏楽をやっていたので音楽も好きでしたし、鉄道も好きでしたが、今考えると全て万博に紐づく思い出ばかりです。12歳から57年間、大阪万博を追い続けてきました。

興味の対象が万博だけなので、人と話していても「で、それって万博に関係あるの?」って感じで(笑)

──万博関連アイテムの中でも、特に偏愛するジャンルは……?

白井さん:個人的に惹かれるのが、チラシとか、電車の時刻表、お弁当のパッケージなど「本来なら捨てられてしまいそうなもの」ですね。よく残っていてくれたな〜と。こういうのは、鉄道オタクの方々が残しておいてくれていたんです。

当時の時刻表や新幹線の案内。
大阪の弁当店「水了軒」の駅弁パッケージ。
国鉄利用をすすめる案内と特急回数券。

白井さん:「あなたもゆける未来の国……万国博は国鉄で」とか「日航ジャンボは空飛ぶ日本館です」とか、万博にあやかろうとするチラシのキャッチコピーもストレートで最高なんですよ。

アパートや文化住宅(集合住宅)のチラシも大好物です。

──万博会期に合わせて作られた宿舎がたくさんあったんですよね。

白井さん:大阪万博前にアパートや文化住宅の建設ラッシュがあって、会期中はホテルとして利用して、その後分譲住宅として売られたんです。名前も「ニコニコ万博荘」とか、何かしら万博に紐付けたネーミングで。

チラシがあるものは全て、その後どうなったのかを見にいきました。今、現存しているものはほとんどないですね。

──万博の宿舎になっていた文化住宅まで追っているとは……! 今でいうオタクの聖地巡礼みたいなものですよね。

\ドヤ/
2025年の万博は「深追いしません!」

5月31日からスタートした大丸梅田店5階の「大阪・関西万博 常設売場」

──2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)をどう捉えていますか?

白井さん:生きているうちに2回目の万博を体験できる喜びはあります。盛り上がってほしいと思う反面、自分にとって1970年の万博を超える体験にはならないことがわかっているので、「今回は深追いしない」と決めています。もちろん会場には行きますが。

既に過去の大阪万博のアイテムは、大学の研究室などに寄贈したり、知り合いに譲ったりして少しずつ減らして……そろそろ本気で断捨離しなければと思っているところ。

手を出したら歯止めが利かなくなりそうなので、2025年のグッズは集めないようにしています(笑)

公式キャラクター「ミャクミャク」のグッズが並ぶ。「かわいくて愛着はあるんですけど……」と白井さん。

大丸梅田店 大阪・関西万博 常設売場

住所:〒530-8202 大阪市北区梅田3-1-1 大丸梅田店 5階イベントスペース
問い合わせ:06-6343-1231
公式キャラクター「ミャクミャク」を使用した「2025大阪・関西万博公式ライセンス商品」を販売。
※商品購入は1アイテムにつき、お一人様20点までとなります。ご了承ください。

──あなたにとって大阪万博とは?

白井さん:掘っても掘ってもきりがない、掘れば掘るほど面白い、人生を捧げた研究課題ですね。7月で69歳になりますが、まだ掘りきれていないんです。会場で使われていたゴミ袋一つにしても、携わった人たちの話を聞くと深い深い裏話がある。ただ、アイテムを集めるだけじゃ面白くないんです。なぜこのアイテムが作られたのか? どうやって作られたのか? を掘っていくと面白い話がたくさん出てくるんですよ。

「このアイテムの話だけで本1冊分書けますよ」と言う白井さん。

白井さん:太陽の塔のグッズ一つとっても、なぜ岡本太郎さんが信楽焼を好きになったのか……という深〜い長〜い物語があるんです。それはまた別の機会に。

──話を聞いているうちに、深い沼に引き寄せられていく感覚に……。終始楽しそうに話す白井さんは、12歳の頃から変わらない万博少年でした。

\ おまけ /

自宅玄関に飾られている、当時の万博会場で使われていたピクトグラム。
「光の木」と呼ばれていた「スイス館」で使われていた白熱電球。32000個のうちの1つ。

この記事を書いた人

トミモトリエ

1976年東京生まれ、大阪在住。株式会社人間所属、人間編集部編集長。人間を編集する編集者であり、変を集める変集者。偏愛者を愛し、大阪に生息する超生命体を研究している。時代を蛇行する超生命体マガジン『ヘンとネン』で連載「超生命体の偏愛図鑑」を更新中。年間400食のカレーを食べるスパイス狂。